イノベーター66 ブログ

新しい価値を「想像」する日常 【日常×想像】のブログ

サーフィンはかつてサブカルチャーであった@独り文化研究会

こんばんは。

 

今は自宅。

時計の針は、21;00を指している。

  

一枚の杉板でできた知人の手作りテーブルに

天ぷら盛り合わせと大根おろし

少し暗めの電球照明とエビスビールの350cc缶2本。

 

中西圭三の「ユーアンドアイ」を聞きながら、 

さて、

今日も「独り研究会」を開催した。

今日の研究会は「サーフィンはサブカルチャーである。を考えよう」だ。

 

私は、サーフィンをはじめて20年以上になる。

 

innovator66.hateblo.jp

 

バス停の停留所の標識、

毎日勝手に30センチづつ移動してみる。

1000日(およそ3年)で300メートル。

明らかに場所が変わっていることに、

毎日バスを運転する運転手、

そして、利用するお客は気づかないという。

 

「間違い探し」も見比べればわかるものの、

少しづつ変化していく動画の間違い探しは、よく目を凝らさないとわからない。

 

時代の流れもそんなもの。

時代は流れ、

知らぬ間に価値感も常識も変えていく。

 

サーフィンと共に歩んだ20年という月日も、

バス停のそれ然り、

知らぬ間に価値の変化を遂げている。

 

20年前、私の中でサーフィンは「サブカルチャー」であった。

サブカルチャー・・・社会の中の特定の集団だけが持つ文化的価値観や行動様式。

 

パンクロックやレゲエ、ヒップホップ、スケボーなどもそう。

私の中のサブカルチャーは、

社会一般の価値観に流されず、

自己主張があり、

自由で縛られず、

魅力的でカッコよかった。

 

そこにある独自の文化=価値観は、

私のように、学歴、バランス教育に馴染めない、

一部の集団にとっては、「かけがえのない必要な居場所」であった。

 

あれから20年。

 

時は流れ、徐々に変化を遂げ、

この東京オリンピックでは、

サーフィンもスケボーも一種の競技となり、

メインスポーツ(メインカルチャー)の仲間入りをしている。

まさか、メダルをかけることになろうとは…。

 

手に汗握り、食い入るように見ていた私も、

時代とともに変化した独りなのだろうが。

 

でも、ふと考える。

20年前の社会に馴染めず、

サブカルチャーに居場所を見出した「パーティーピーポー」な私が、

今ここにいたとしたら、

メインカルチャーとなったサーフィンやスケボーに熱中しただろうか。

 

私は、やはり、サブカルチャーだからこそ、魅力を感じたのだと思う。

 

私の中では、今でも、スケボーは競技ではなく「ストリート」である。

 

若い世代、

社会に馴染めない人、

社会に反抗したい人は、

「ある種の必要枠」として一定数、存在する。

 

そんな人は、

サブカルチャーアンダーグラウンドの文化を必要とする。

そこを居場所として、社会参加をするのだ。

 

サブカルチャーである」ということが重要で、

そこに魅力や価値を感じるのだ。

 

それは、決してメインカルチャーであってはならない。。。。

独り研究会ではそう思う。

 

 

そうだろう、「スヌープ・ドギー・ドック」

と、まだまだ独り研究会はつづく。